定年した日の自分を想像したら、怖かった|41歳、18年勤めた会社を辞めて家族で日本を出た

2026年4月、41歳のときに、18年勤めた会社を辞めました。5月21日に、家族3人と犬1匹で日本を出ました。いまは鎌倉とチェンマイの二拠点です。
「なぜ40代で」とよく聞かれます。そこを書きます。
このページでは、会社を辞めた理由を書いています。実際にかかっている生活費と、タイへの送金手数料を先に見たい方は、後半の「それで、いくらかかっているか」から読めます。
先に書いておきます。これはぼく個人の話です。誰かに同じことを勧めるものではありませんし、うまくいった話でもありません。いまも、うまくいっていないことのほうが多いです。そこも書きます。
定年した日の自分を想像したら、怖かった
ぼくは物事をお尻から考える癖があります。30を過ぎたあたりから、定年したときの自分と、死ぬときの自分を、よく想像するようになりました。
65歳で定年になって、じゃあ明日から何をしよう。死ぬまであと何をしよう。
そう考えている自分を想像したときに、すごく不安になりました。それが本当に幸せなのか、自信が持てなかった。
だったら、自分で物事を作り出して、生み出していける人間になりたかった。
これが理由のいちばん奥にあるものです。会社が嫌だったわけでも、上司と揉めたわけでもありません。
辞めたい理由は、お金ではありませんでした
ただし、辞められた条件にはお金がありました。ここは分けて書きます。
2025年、会社員としての年収は約850万円でした。
これとは別に、国内の不動産からの収入がありました。株式とFXでの収益もありました。収入源が会社の給与だけではなかったことが、退職の判断を後押ししたのは事実です。
ここに挙げた方法を勧めたいわけではありません。ぼくが辞めた時点で、どういう条件だったかを書いています。
仕事も楽しかったです。セールスプロモーションの仕事で、自分が思ったものを形にできたし、好きなパートナーと組めました。18年いたのは、良い会社だったからです。
一度、36歳のときに辞めませんでした
実は、2021年に一度辞めようとしています。
コロナ禍のときです。自分でWeb制作とWebマーケティングを始めました。クラウドワークスとココナラで仕事を取って、個人事業として動かしていた時期があります。
自分で仕事をやっていきます、と会社に言いました。
でも、辞めませんでした。
いま振り返ると、あのときは手段と目的を取り違えていました。「自由になりたい」が先にあって、そのために自分で仕事をすればいい、という順番だった。自由になって何をするかが、自分の中に無かった。
ちょうどその時期に娘が生まれました。リモートワークが推奨された時期でもあって、そもそもいまも十分に自由じゃないかと思えてしまった。本業も楽しかった。
だから残りました。あの判断は、間違っていなかったと思っています。
そこから5年たって、もう一度
2021年から5年たって、もう一度ちゃんとチャレンジしたいと思うようになりました。
独立してから、目上の人に相談する機会が増えました。相談した人の中には、40歳から45歳のあいだに独立した人が何人もいました。これはぼくの周りで見た範囲で、統計ではありません。
ぼく自身は、18年やってきたことが形になり始めた一方で、このまま定年まで進むことへの不安も強くなっていました。
出発点は、妻の親子留学でした
海外に出る話を最初にしたのは妻です。
妻には学生のころから留学したいという思いがありました。娘が4歳になったとき、小学校へ上がる前に親子留学をするなら今だと話しました。
最初の案は、妻と娘の親子留学です。そこへ一緒に行くと決め、18年勤めた会社を辞めたのはぼくです。きっかけは妻でしたが、その選択を自分の仕事や人生へ重ねたのは、ぼく自身でした。
反対はされていません。娘は当時4歳で、この選択の意味をすべて理解できる年齢ではありませんでした。
娘に渡したかったもの
AIを仕事で使うようになり、個人でも商品や仕事を作りやすくなっていると感じます。娘が大人になるころの働き方がどうなっているかは、ぼくには分かりません。
だから、ひとつの環境しか知らない状態ではなく、違う言葉や文化に触れたうえで、自分で選べる状態にしておきたいと思いました。
娘に渡したかったのは、正解ではなく選択肢です。
そのために選んだ手段が、たまたま二拠点生活だった。それだけです。二拠点生活が目的だったことは、一度もありません。
いま、怖いこと
正直に書きます。
仕事がまだ安定していません。マネタイズも十分にはできていません。会社を辞める前に想像していたより、売上を作るのには時間がかかっています。いま、いちばん怖いのはここです。
言葉については、翻訳を使いながら生活できています。怖さの中心は海外生活そのものではなく、自分で仕事を作り続けられるかどうかです。
それでも、辞めてよかったと思うこと
ぼくは今まで、大きな苦労をしてきませんでした。何でもかんでも、どこか舐めていたと思います。
一人になってみて、残ってくれる人が誰なのかが見えてきました。
苦労はしています。いまがいちばんしています。それでも、チャレンジできている自分には、誇りを感じます。
あのとき辞めなかったら、ここまで一生懸命にはなれませんでした。
それで、いくらかかっているか
理由だけ書いても仕方がないので、金額も出します。
- チェンマイでの生活:月33万〜35万円ほど(概算)
- 航空券:一時帰国は往復74,980円(1往復の購入実績)
- 保険:妻と娘のSafetyWingは、2026年8月17日の加入時点で28日ごとにUS$102.76
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まだ書けていないこと
- タイ側の「その他」約10万円:車の維持費、外食、日用品を分けられていません
- 収入をどうしているか:ここがいちばん聞かれるところだと思っています
- 学校のこと:娘が通っている学校について、どこまで書いてよいか決めていません
- 保険を使ったときのこと:加入しただけで、まだ使っていません
確認できた順に、この記事からリンクを足していきます。
まだ、選んだ途中にいる
ぼくの場合は、妻の親子留学が出発点になり、18年勤めた会社を辞めました。正しかったかどうかは、まだ分かりません。仕事は安定していないし、マネタイズも十分にはできていません。
いま書けるのは、うちが何を選び、何にいくら払ったかです。うまくいかなかったことも含めて、確認できた順に残していきます。
更新履歴
- 2026年8月20日:関連記事へのリンク文言を、現在のタイトルに訂正。⚠️ 数値の変更はありません。
- 2026年8月18日:全面改稿